2015年も あとわずか。
今年、何度も 思ったことがあります。
それは、これまで 人に言われた 自分にとって 「気になる言葉」です。
褒めてもらった言葉や嬉しい言葉は、カラダに スッと入ってくれて
記憶に残らないんだけど
自分にとって きつい、つらい、困った、わかってるのにごまかしている
そんな言葉たちを思い出します。
それは、プライベートな人に言われることが多く
20代の頃に付き合った彼女に言われた
(話がどんどんズレてるじゃん!最初に言ったことと最後が違ってるじゃん)
そうなんです。自分を正当化しようと20代の僕は、必死でした。彼女へのプライドも
高く、負けず嫌いもハンパなかったのです。
(主観で生きてるよね)
次につきあった彼女にも、また同じような態度で・・・。
その彼女を自分より下に見ていて、自分の思うとおりにしてくれないと嫌だったんです。
そう、僕は、自分を悪い意味で曲げなかったんです。
この言葉たちは、ずっとずっと忘れてなかったんです。
あれから、20年以上経ったけれど、僕が この言葉をきちんと振り返るように
なれたのは、この仕事に就いて沢山のクライエントさんと向き合うようになったから。
いろんな人がいて、いろんな悩みや苦しみがあって、彼らと向き合うようになったからこそ
僕が、常に変わらないブレない立ち位置に立てるために、自分をしっかり見つめることが
できたのだと思います。
昔の彼女らに会うことは もう出来ないけれど
空を見上げながら つぶやきます。
「俺、もう ごまかしたりせずに、謝れるし、自分より上とか下とか そんなヒドイ
思いも恥ずかしく思うよ。今の俺は、どうかな?」 と。
男友達にも、僕のわがままな強引な強さを沢山指摘されてきました。
その友達とは、今も友達だから、俺はどう?とは恥ずかしくて聞けませんが
昔のような指摘されてきた言葉が出ないということは、変わったのだ!と
勝手にそうしちゃっています(笑)
人は、いつからでも変われる。僕も変わった。
そして、苦手な人や嫌いと思った人も もしかしたら変わっているかもしれない。
だから、嫌いなままでいないで 待っていてほしい。そして
変わったとしたら、許してあげたいし、許してほしいと心から思います。
あ、あとひとつ番外編ですが
(歌がうまいんだから丁寧に)
これも前に付き合っていた彼女から言われた言葉です。
その彼女は、歌が本当にうまくて、僕たちは、よく
カラオケに行きました。彼女の声量とブレスなど
素人以上を目指していただけあって聞き惚れたものです
その彼女に 歌がうまいと単純に褒められたことは嬉しく思ったものだけれど
それよりも、彼女のように ちゃんと歌いたいという思いが常にあったものの
丁寧なようで雑な性格が歌にはもろに出ていたのでしょう。
常に丁寧に。区切って歌わない。 彼女は教えてくれました。
僕は音楽を聴くことも、奏でることも、歌うことも大好きです。
朝 起きたときも、テレビではなく音楽で始まるくらいです。
今の僕は、月に2回くらい カラオケに1人で行き
フリータイムを利用して、2時間~5時間くらい歌いまくります。
点数をつけることはしません。あれは、友達と遊びで楽しむもので
自分が好きで歌うのに評価はいらないんです。
その時に、彼女の「丁寧に。」という言葉を意識して歌います。
変わったね~ 丁寧になったね~ とは、答えてくれる術もないけれど
これからも、僕は意識して歌い続けると思います。
誰かとカラオケに行くことがあったとしても、僕の中の「丁寧に」は変わることなく
誰かの評価や褒め言葉ではなく、自分の中の「納得」を目指していくのです。
カラオケに行くときには 毎月 新しい曲も見つけて家で鼻歌で練習した成果の
発表会もします。
課題があるからこそ、その歌を歌いこなせる楽しみができるからです。
完璧な人間なんていません。
不完全だからこそ、誰かのためではなく 自分が自分らしく生きていくためには
人から言われた 嫌だと思う言葉や、キツイなと思う言葉に
大きなヒントが潜んでいること いつか 気づけたら案外 目から鱗です。
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