昨日 僕の母は82歳になりました。
「あたしは76歳で死にたいわ」と勝手に
そう言ってた時から
6年長生きしてくれています。
母親と仲がいいひと、そうでない人
沢山 みてきていますが、仲がいいから良いとか
そうでないとか悪いとかではなく
ひとえに「縁」があると思います。
母親が どんな環境でどう生きてきたのか
育ってきたのかも影響があるし
壁にどう立ち向かったのか 向かってないのか
大人になってからの生き方にも影響があります。
だから、母親が嫌い、苦手な人は その背景を感じ
憎むことや嫌うことより 諦めて楽になることも ひとつのストレス解消になると
僕は思います。
僕は、実は、父親に対しては 物心ついたときから 相性が悪く、嫌悪感だらけでした。
その気持ちは、30歳まで続き 上記に書いたように、父親のひどい家庭環境を知り
そして、本人の大人になってからの生き方に賛同できず、諦めたくちです。
諦めると不思議に嫌いのエネルギーよりも、可哀想な人だと ちょっとばかり勝手に
上から目線になったことで楽になりました。
だから、カウンセリングに来る若い人たちが親を嫌ったり、嫌悪感を持ったりが
愛してほしいことの裏返しだということも知っているけれど、
今、大人になって わかってあげなさいとは言いません。
自然に大人になる時期が来るのだから・・・・僕だって30歳までウダウダ言ってましたから。
いつか、自分の生き方ができるようになったときに、きっとその時期がきます。
さて、話は戻りますが、僕は、そんな中で母親に強く優しく育てられました。
この母親に生まれ変わっても、もう一度 母親になってもらいたいと思うくらい
大切な存在です。母であることを誇りに思っています
(母親は 嫌よ~と言うだろうけど) やんちゃな僕でしたが、一度として
否定したことがない人です。いつも言われた言葉は
「決めたことは最後まで 石にかじりついてでも頑張りなさい。いつでも応援してます」
このセリフは、僕が家元から離れたときや、海外留学、地方で働いたときなど
自分で選んで進んだ先に 必ず このセリフと共に、テレフォンカードが手紙に
入っていました。いつでも電話してねという意味で。(今はテレフォンカードあるのかな)
僕の ハチャメチャな生き方を楽しんでくれる人です。
今、母は 腎臓を患っていて腹膜透析をしています。
家で、僕や姉や、訪問看護師で透析をしています。
すっかり車椅子の人になってしまいましたが、相変わらず外に出るときは
オシャレです。頭の回転もメッチャ早いです。わがまま放題言いますが、僕が
母と一緒に過ごせるのは、果てしなく長くはないと思うと、後悔しないように尽くそうと
思うだけです。昨日の誕生日は、一番 母が喜ぶだろうと思うことをしました。それは
寂しがりやの母の為に
「朝から寝るまで 一緒にいること」です。母にそれを言うと
「朝5時に来ていいよ」と言ったけれど、え~!!5時はねぇ~・・・というと
「じゃあ 譲ってあげて6時ね!」というので 朝6時から実家に行き 一緒に
朝ごはんからスタートし、昼は、外に連れ出して家族でランチをし、
夕方「もう帰っていいよ、可哀想だから・・・」というので
「ここまでいたんだから 満足するまで一緒にいるよ」というと
「ありがとう、大満足です」と言うので 夕方 バースデーは終了しました。
あれは、きっと もう疲れたに違いないと僕は思っているけれど
あくまで、あんたが可哀想だからというので そういうことにしています(笑)
プレゼントといってはなんだけれど、車椅子のカバーを作りました。
「母は最高だよ」と刺繍を入れて。
親子でも姉弟でも兄弟でも、友人でも夫婦でも
血の繋がりあっても縁ない人もいれば、血縁がないのに しっくりくる縁のある人もいます
僕は、どんな形でも、その「縁」を大切にしています。
母との縁を大切にしながら なにげに
まだ見ぬ 人生の伴侶の縁を楽しみにしています(笑)
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