僕は性格が出来上がるといわれる2歳から5歳まで
アメリカのニューヨークにいました(父の仕事上)僕自身の記憶は
あまりないのですが、母や周りから聞くと、とにかく あっちこっちとよく
動き回っていて、英語もすぐに覚え(帰国子女になるくらいは残ってないのが残念)
幼稚園も行かずに、近所に友達を作っては遊びまわっていたそうで・・・・。
キット、目に映るすべてのものが楽しくて新鮮で仕方なかったのだと思います。
黒人もいて白人もいて、中国人もいて、顔の色も体の大きさも違う人間の中で
順応して楽しんでいたのでは?と思われます(笑)
そんな僕が日本に戻って 幼稚園の年長にほんの少し 入った時も
好きなことを好きなだけしてもいいという幼稚園に母は入れてくれました。
朝から帰るまでずっと絵を描く。ずっと本を読むなど 今思えば
僕にとってとても素晴らしい環境だったなと思うのです。
ですから、僕はどんな人も受け入れることが苦ではないことと
変化にも順応できることに関しては、アメリカで育った環境だと思うのです。
が、しかし、幼稚園まではとても僕にとって素晴らしかったけれど
その後、小学校から
生きにくいなと思っていたのは、「みんな同じ」を求められることや
強いられることです。学校で、遠足にいくと みんな二人列になって歩く
これも、嫌いでした。窮屈で、はみ出ると よく先生に「おい!そこ!」なんて
怒鳴られたものです。同じことをするにも、人それぞれ ペースも違うし
好みも違うのに 同じことをやらなければならない。
いろんな嫌なことはありましたが そこは とりあえずスルーして・・・。
大人になって 就職するようになって、自分では向いていないとわかっていたので
サラリーマンは避けて、自分のやりたいことを仕事にしてきましたが
やはり 大きな組織の中にいることは否めないので
その中で 伸び伸びやるつもりでも、ちょっとしたことで バカみたいことを
言われ叱られることが沢山あります。あるときは100人近くいる従業員に
朝 会うと挨拶をするのですが、それだけの人数いると、同じ人に挨拶をしてしまうことも
あり、僕の同期が先輩に「お前の挨拶はさっき聞いた、同じことを二度するんじゃない」
というようなことを言われ、僕は、カチンときて「これだけの人数がいたら
相手を覚えて誰に挨拶したかしてないかなんてわからないじゃないですが 挨拶しないより
いいんじゃないですか」みたいなことを言ったと思うんですけど
その先輩は 僕が食ってかかったのが気に入らなかったのか 半年近く 仕事上で
いやがらせをされました。同期の奴は 何事もなく仕事していて・・・。
僕は、そのときに「バカみたいだな どいつもこいつも」と思いましたし
そんないやがらせの最中も、誰にも愚痴らず、耐え続けました。僕は何も悪くないのだからと
自分を信じ・・・。 結局 いやがらせの先輩も飽きたのと僕が誰にも言わずに
耐えたのが面白かったのか「お前 たいしたもんだな」と変な褒められ方でイジメは
終わりました。
その後の人生においても、組織に少しでも首を突っ込むと
必ず、「やり方」を強いられます。僕の中には、僕がやっていることには
「意味」があるのだけれど、そんな「意味の深さ」よりも、「みんなと同じ」を
求めることが、やっぱり 僕にはいくつになっても「なんで?」と思ってしまいます。
だから、カウンセリングの時間は 思う存分「ブレナイ僕のやりかた」で
クライエントさんと関わるのです。相手が機械なら いつも同じルーティンで
やらなければならないこともわかります。だけど相手は生きているものならば
臨機応変が絶対必要だと思うんですけどねぇ。しかも楽しむことは二の次的な感じもします。
やれやれ ちょっと愚痴りました・・・・
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