ある男性は、「私のような貧乏人は、女性に相手にされるわけがない」と言います。
私は、そういうお悩みに対して、「あなたが、貧乏であることを恥ずかしいことだと思っているのですから、仕方がありません」と答えるほかありません。
いくら私が「経済力と人間の価値とは関係ありません」と言っても、それはあくまで私の価値観であるにすぎないのです。
私は自分の価値観が正しいと信じていますが、それが万人に共通する絶対的真理であるとは思っていません。
世の中には、お金がすべてだと考えている人もいるでしょう。
その人がそれで幸せなら、他人の幸せを否定する権利は私にはありません。ただ、私はそうなりたいとは思わない、というだけのことです。
人それぞれが、自分なりの価値観に従って生きています。
暴力で他人を服従させることはできても、意思までも変えることはできません。
価値観は、その人の自由な意思によって導き出されたものなのです。
「お金のある者の勝ちだ」と考えるのが自由なら
自分が、自分の価値観に従って自分を無価値だと決めつけ、悩んでいる。——その姿は、自分で自分の首をしめながら、誰かに助けを求めているのと同じです。
その手をゆるめさえすれば、楽になるのです。
「劣等」から「劣等感」が生まれるのではありません。「劣等感」から「劣等」が生まれるのです。
人間に客観的な劣等など存在しません。劣等感をもってはじめて、本当に劣等となってしまうのです。
自分に自信がもてないという人は、以下のことに注意してください。
「私は貧乏だから価値がない」と言うことは、世の中のすべての貧乏な人を侮辱することになります。
貧乏でも、明るく前向きに生きている人はたくさんいます。
自分の弱さを一般論にすりかえてごまかしてはいけません。
貧乏であることが恥ずかしいのではありません。貧乏を恥ずかしいと思うことが恥ずかしいのです。
「私は太っているからモテないのだ」と言うことは、世の中のすべての太っている人を侮辱することになります。
「私は体が不自由だから不幸だ」と言う人は、世の中のすべての身体に障害のある人を侮辱することになります。
あなたはもう、何かと理由をつけて「自分は価値がない」などと言うことはできません。それは、同じ境遇の人に対して、とても失礼な発言なのです。
人間にとって、幸せとは何か。何が正しく、何が間違っているのか。何が美しく、何がみにくいのか。
絶対に正しい答えはありません。自分の頭で考え、自分なりの価値観を確立してください。
世の中には、あなたをバカにする人もいるでしょう。しかし、その人は自分の独善的な価値観でものを言っているにすぎないのです。
あなたが腹を立てたり、落ち込んだりしてしまえば、それは相手の価値観を認めることになってしまいます。
そんな人のことは、気にしなければいいだけのことです。
どんなに立派な人格者だって、妬みから悪口を言われることもあるでしょう。
すべての人に認められるなどということは、不可能だし、必要のないことです。
自分の価値観を他人に押し付けず、他人の価値観に惑わされない。
自分の信念を貫きながらも、間違いに気づけば改める謙虚さをもつ。
それが自信をもつ方法です。
人の道に外れることなく、まっとうに生きてさえいれば、何も恥ずかしいことなどありません。
上記は たかたまさひろさんの 「自分なりの価値観を定めよう」から。
僕も、その通りだと思うので 共感、同感です。
どんなに素晴らしい人格者でも、なんだかんだいう人がいます。
すべての人に好かれる必要もないのです。
自分を信じて進む道の中で 間違いに気づいたときに
改める気持ちがあれば、いつまでも、向上していけると僕は思っています。
どうせ・・・とか。だって・・・とか いう前に
やってみたり反省してみたりするほうが近道だと思っています。
自分の価値は 自分だけ しっかりわかっていればいいのです。
もしも他の誰かに それを認めてもらったりしたら、それはご褒美的な
プレゼントだと 僕は思っています。
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