人生 これまで
沢山の人間と出会ったり別れたり・・・・
人それぞれ 顔が違うように それぞれのかかわり方も違う。
温度も距離も違うのだろう。
幼稚園とか保育園くらいから 誰かとかかわるようになり
それから、自分が大人になるにつれて 選ぶ相手も、変わり
関わりかたも変わる。
小学校、中学校、高校、それぞれ、部活動あったり、帰宅部だったり
バイト生活だったり、そこから社会人だったり、大学生だったり・・
そして 女子だったら結婚で主婦だったり、共働きだったり
子育てだったり、そこからママ友だったり・・・・
孫との関わりだったり・・・
結婚しない女子なら そこから先の生き方での関わりだったり・・
男なら、会社だったり、趣味だったり、定年だったり
まぁ、道のりは、枝のように みな 違う・・・
言いたいのは
大人になるにつれて 人との距離ができるのは 仕方ないのかな?ということ。
みな生活が違うから 仕方がないと言うけれど、それはわからなくもないんだけど・・・
時々、僕は、子供の時のように、学生時代のように
相手に対して、自分で気づいたことを 言ってみたくなる。
だけど、大人になると、素直にその言葉を受け止める前に、
言われたくない精神状態が先に立つのか その言われたくないというのは
誰かに何かを言われたくないという気持ちやら、自分と相手の「今」の幸せ度みたいな
ものを勝手に比較して 言われたくないみたいな感情になって受け入れない姿勢になって
それが原因で関わりが終わってしまうという 思いもよらない最悪な状態になる・・・
僕は、その「終わり」を何度も経験している。
子供の時のように、お前のここが気に入らないんだ!みたいな
けんか腰にはいうつもりもないし、ただ、気づいたことを伝えたいだけなんだけどな。
けんか腰といえども、そういう学生時代の喧嘩は
相手に、わかってほしいから言うんであって憎んでいるから言うのでなく・・・
その後の仲直りの瞬間が特別素敵で、その喧嘩のあと、もやもやして
言い過ぎたかな いや そんなことはない という葛藤を経て
謝ったり、謝られたりして 素敵な仲直りをする そして 絆は強くなる・・・
そんな 学生時代 子供時代が とても好きだったことを
時々 思い出す。
大人になったら、年齢を重ねれば重ねるほど
その感覚は みな 遠のき、「聞く耳」がどこかへ行ってしまう。
僕の母は、時折 僕を叱った。
的を得た内容ばかりで、うっせーな と言い返しては
(そうなんだよ 俺って そこがよくないんだよ)と改めて
気づかされて、意識して直そうとしたりするのだった。
嫌いな相手のいうことに耳を傾けなくとも
好きな相手のいうことには、素直に耳を傾けることができたら
自分の残りの人生 面白くなるのになぁ~と思うけれど
それを強要もできないしなぁ と僕の想いは ゆらゆらと揺れっぱなし・・・
嫌いな相手のいうことに耳を傾けると
それはそれで なかなか面白いことを言い出すことに 変に感激してしまったり(笑)
僕は 根っからの 変な好奇心をもつ 変わり者なんだろうな(笑)
そして 叱ってくれる人は 貴重な人だと思わずにはいられない。
話は 戻るけれど
人の話に耳を傾けて 自分を変えていこう
高めていきたいと思うことに関して
カウンセリングに来てくれる人たちは、みな 素晴らしい「耳」を持ってくる。
僕の冷静で客観的な言葉に 耳を傾け、見つめ、自分を知る。
そして、相手との距離感や想いの温度、違いとかに気づく。
だから、カウンセリングの時間は、僕にとっても
素晴らしい「向上」の時間。
カウンセリングで出会う 出会った 素晴らしき向上心多きクライエントさんたちの
今後の新しい自分探しを願いつつ
これを言ったら 終わってしまうかもしれないと考えなくてもいい
大好きな相手との ゆるぎない友情を求めることを諦めない僕が
まだ いるのだなと 知ったそんな日。
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